エジプト神話は、キリスト教とイスラム教が広まる以前にエジプト(古代エジプト)の人々によって信仰されてきた神々の体系、宗教を指す。ただし、古代エジプト人の信仰は、おおよそ3000年にわたった長い期間に、またその間に何度も変容を繰り返してきたので、一つの記事(それどころか、ある本をまるごと一冊)使っても、概要以上を示すことはできないのが実情である。一般にはヘリオポリスで信仰されていたヘリオポリス神話をもとにして語られることが多い。
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目次 [非表示]
1 ヘリオポリス九柱神
2 神々
3 信仰
3.1 神殿
3.2 世界
3.2.1 創造
3.2.2 世界観
3.2.3 ナイル川
3.3 死後の世界
視力回復
4 関連項目
5 外部リンク
[編集] ヘリオポリス九柱神
エジプト九柱の神々を参照。
おまとめローン
[編集] 神々
アトゥム(Atum)
アテン (Aten/Aton)
アヌビス (Anubis)
アーマーン (Ammut)
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アポピス(Apophis)
アメン(Amen/Ammon)
アメント(Ament):アメンの女性形。鷹頭/駝鳥頭でしばしば有翼の、太母神
イシス (Isis)
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オシリス (Osiris)
カー(Ka):魂魄。人間を構成する要素の1つ
ゲブ (Geb)
ケプリ(Khepri)
セト (Set)
セベク (Sobek)
トート (Thoth)
ネフティス (Nephthys)
バステト (Bastet)
ハトホル (Hathor)
バビ (Babi):マントヒヒの神格化。オシリスの最初の息子で、死者およびその生殖能力を司る
エステサロン
ホルス (Horus/Horos)
マアト(Ma'at)
マフデト (Mafdet):チーター頭の女神。法の下での裁きの執行、有毒生物からの保護を司る
マヘス (Maahes):獅子頭の戦争・天候神。母系制とアメン高司祭の保護を司る
メルセゲル (Meretseger)
ラー (Ra)
レシェフ(Resheph)
ヘッドハンティング
コンス (Chons)
ミン (Min)
アケル (Aker):地平線の神格化。太陽と2頭の獅子(昨日と明日)に囲まれた盥型の大地で表現。冥門と解毒も司る
アク (Akh):霊魂の相。死後カーとバーの結合により生じる。後期にはカーの分裂によりバーと共に生じると信じられた
アマサウンタ(Amathaunta):シュメール神話の海の女神
アンジェティ(Andjety):アンジェト(Gr. ブーシリス)の主神。死者の統治、再生を司る
履歴書
アヌケト(Anuket/Anukis):氾濫するナイル川の女神。名称は「(大地を)抱くもの」に由来
アンクト(Ankt):小アジアの戦女神
アンティ(Anti/Antaeus):隼姿の渡し守の神。オシリスとイシスの伝説ではイシスの渡河を許し、セトに両踵を切られる
アピス(Apis)
ウェプワウェト(Wepwawet/Ophois):狼姿の戦争・死者の神。
アス(As)
バ=ペフ(Ba-Pef)
ベンヌ(Bennu)
ベス(Bes)
ブト(Buto)
チェム(Chem)
(Chensit)
(Chenti-cheti)
クヌム(Chnum)
デドゥン(Dedun)
(Djebauti)
ドゥア(Dua)
ドゥアムテフ(Duamutef)
ハピ(Hapi)
ハラクティ(Harakhti)
ハトメヒト(Hatmehit)
ヘデテト(Hedetet)
ヘケト(Heget)
ヘフ(Heh)
ヘメン(Hemen)
ヘムスト(Hemsut)
ヘサト(Hesat)
ヘズ・ウル(Hez-ur)
(Hike)
イフ(Ihu)
イミウト(Imiut)
イムホテプ(Imhotep)
イムセト(Imset)
アステン(Asten/Astes)
イウサアセト(Iusaaset/Saosis(項目 Atum 参照)):アトゥムの影にして妻神
(Junit)
ケムウェル(Kemwer)
ケム(Khem)
(Khentimentiu)
キス(Kis)
メンデス(Mendes)
メンヒト(Menhit)
メントゥ(Menthu)
メレト(Meret)
ムネウェル(Mnewer)
(Nebtuu)
(Nechmetawaj)
(Neferhor)
ネヌン(Nenun)
ネペル(Neper)
ヌネト(Nunet)
パチェト(Pachet)
ペトベ(Petbe)
(Petesuchos)
ケテシュ(Qetesh)
(Rat-taui)
レネネト(Renenet)
レンペト(Renpet)
レレト(Reret)
ルティ(Ruti)
サア(Saa)
セクメト(Sachmet)
(Sai)
セチャト・ホル(Sechat-Hor)
セド(Sed)
セルケト(Serket)
センタイト(Sentait)
セパ(Sepa)
セプトゥ(Septu)
セスム(Sesmu)
シャイ(Shai)
シャイト(Shait)
シュー(Shu)
(Somtus)
ソプデト(Sopdet)
タオウリス(Taouris)
タウエレト(Tawaret)
(Tenenit)
ウネグ(Uneg)
ウヌト(Unut)
(Urthekau)
(Wosyet)
(Zenenet)
注:この一覧は英語版からの移植である。
参照:エジプト観光省の広範囲に渡るエジプトの神々の情報
[編集] 信仰
[編集] 神殿
エジプトでは各地に神殿が建てられて神々が崇拝されていた。神々の序列は地方によって異なり、ヘリオポリスにおいてはラー=アトゥムが主神として信仰されていたが、地方によってはプタハなど、別の神を人類創造の主神として崇めていた地域もあった。そのため各地方でそれぞれの地域で信仰する神の社が建造された。ファラオがエジプト神話においては重要な役割を占めておりホルスの跡継ぎと位置づけられていたため、国家によっても多くの神殿が建てられた。その代表格といえるのがアブシンベル神殿である。
[編集] 世界
[編集] 創造
エジプトにおける天地創造はやはり地域差があって一概にいえないが、ヘリオポリス神話においては広い海原からラー(アトゥム)が誕生し、独力で神々と世界を形作っていたとされている(創造神話)。ヘルモポリスでは八位一体の虚無を表す神々(オグドアド)が世界創生の中心的役割を担った。メンフィス周辺ではプタハが天地創造の主導的役割を果たし、彼は言葉と思念によって世界のあらゆるものを作り出したとされる。エレファンティンではクヌムが主神として世界を形作った。クヌムは粘土から人間を作り出した神として知られる。このように、天地創造の神話も地方ごとに異なる。
[編集] 世界観
エジプトにおいて天はヌトという女神であり、地はゲブという男神であった。両者は夫婦であり、最初は隙間なくくっついていたが、父たるシュウ(湿気)とテフヌト(空気)によって引き離されて現在の姿になったという。ゲブはヌトに少しでも近づこうと山々を作り出したとされる。古代エジプト人にとって地は平面であり、ナイル川によって分断された二つの大地と海によりできていると考えられていた。地の底には冥界があり、ラーは夜ここを通って再び地上に現れるとされた。
[編集] ナイル川
エジプト人の生活においてナイル川は重要な役割を果たした。そのため、神話でも多く登場する舞台の一つとなっている。例えばオシリスがセトに騙されて棺に封じ込められた後、ナイルに流されたという説話がある。ナイル川の洪水は"ヌビアの女主人"であるサテトによって起こされると信じられていた。そのため彼女はエジプトで崇敬の対象となった。ナイル川の増水とシリウスの運行に一定の関連があることが知られており、シリウス(ソプデト)も神としての尊敬を受けた。シリウスはイシスの魂と呼ばれており、このようなナイル川への関連性からサテトとソプデトは後に習合されるに至った。
[編集] 死後の世界
エジプト神話において、人間は肉体、バー(Ba,云わば魂)、カー(Ka,云わば魄)の3つの要素から成り立っていた。人が死ぬとバーは肉体から離れ冥界へ行くが、肉体がそのままであればカーがバーと肉体の仲立ちをして再び此岸に戻ってくることができるとされた。そのため肉体の保存が必要となり、ミイラ作りが盛んに行われた。ちなみにバーは、人間の頭をした鷹の姿で現される。
[編集] 古代エジプト
詳細は古代エジプトを参照。
「エジプトはナイルの賜物」という古代ギリシアの歴史家ヘロドトスの言葉で有名なように、エジプトは豊かなナイル川のデルタに支えられて古代エジプト文明を発展させてきた。エジプト人は紀元前3000年頃には早くも中央集権国家を形成し、ピラミッドや王家の谷、ヒエログリフなどを通じて世界的によく知られている高度な文明を発達させた。3000年にわたる諸王朝の盛衰の末、紀元前525年にペルシアに支配され、ペルシア帝国、紀元前332年にはアレクサンドロス大王に征服された。その後ギリシア系のプトレマイオス朝が成立し、ヘレニズム文化の中心のひとつとして栄えた。
[編集] ローマ帝国期
詳細はエジプト属州を参照。
プトレマイオス朝は紀元前30年に滅ぼされ、エジプトはローマ帝国の属州となる。ローマ帝国の統治下ではキリスト教が広まり、コプト教会が生まれた。ローマ帝国の分割後は東ローマ帝国に属し、豊かな穀物生産でその繁栄を支えたが、639年にイスラム軍の将軍アムル・イブン=アースによって征服され、ウマイヤ朝およびアッバース朝の一部となった。
[編集] エジプトのイスラーム化
アッバース朝の支配が衰えると、そのエジプト総督から自立したトゥールーン朝・イフシード朝の短い支配を経て、969年に現在のチュニジアで興ったファーティマ朝によって征服された。これ以来、アイユーブ朝、マムルーク朝とエジプトを本拠地としてシリア地方まで版図に組み入れたイスラム王朝が500年以上に渡って続く。とくに250年間続いたマムルーク朝のもとで中央アジアやカフカスなどアラブ世界の外からやってきたマムルーク(奴隷軍人)による支配体制が確立し、1516年にマムルーク朝を滅ぼしてエジプトを属州としたオスマン帝国のもとでもマムルーク支配は温存された。
[編集] 近代エジプト
[編集] ムハンマド・アリーの近代化
ムハンマド・アリー1798年、フランスのナポレオン・ボナパルトによるエジプト遠征を契機として、エジプトは近代国家形成の時代へと突入していった。エジプト遠征にともなう混乱を収拾して権力を掌握した軍人ムハンマド・アリー(オスマン帝国が派遣したアルバニア人部隊の隊長)は、1805年にエジプト総督の地位をオスマン帝国に認めさせると、豪族化していた各地のマムルークを打倒して集権化を進めた。その上で、富国強兵、殖産興業を通じたエジプトの近代化を目指した。また、1822年に導入された徴兵制では、宗教の別なく均質な国民として徴兵を行った。こうした政策は、エジプトにおける国民創出、国民国家形成の試みとも解釈できる。また、近代化の財源には、列強からの借款でなくナイル川での商品作物栽培で得られた利益をあてることとして、列強の経済的従属に陥らないよう気を配った。